このまま萎縮していくのか

未だ苦しいけれども、ブログを始めた頃に比べたらいくらか楽になった

5億年ボタン

5億年ボタンとは、週刊SPA!で連載されていた菅原そうたのCGマンガ作品『みんなのトニオちゃん』に登場する話のネット上での俗称。

5億年ボタンの仕組みは、①ボタンを押すと異空間へ飛ばされてそこで5億年過ごす。そこには何もない。空腹や疲れを感じない。眠らない。死なない。できることは、動く、喋る、考える、メモをとること。意識のある状態でしっかりと5億年を過ごす。②5億年過ごしたら5億年間の記憶は消去され、現実に戻る。戻ってくる時間はボタンを押した直後である。③100万円が貰える

つまり側から見るとボタンを押しただけで100万円が貰えるように見える。さて、この漫画に登場するそのボタンが現実にあると仮定したときに押すか押さないかという議論が行われているようなのだ!いわゆる某掲示板でだ。ちなみに私は某掲示板の利用者を見下している!が、5億年ボタンの議論は専らその掲示板で行われていること、そして押す押さないの論争が驚くほど激しく行われているので、今回は各意見に目を通すことにした。

「押さない」と考えるのが普通かと思ったが、「押す」という意見が想像以上に多い。押す理由として即物的に後先を考えず押してしまうというのは意見としてあって良いだろう。私が懐疑的なのは、「記憶が消されるのだから100万円を受け取った自分から見れば5億年を過ごすのは別人。デメリットはない」という意見。これは驚きだ…

まず、本質でないところで議論しないようにするために前提を述べる。①5億年を過ごすことはとてつもなく苦しいこと、100万円を貰うことは嬉しいこととする。②あくまでこの漫画の読者の視点で考える。つまり、ボタンの効果は確かだと知っている。

ちなみに「5億年ボタンは現実ではありえない」とか「誰かに押させる」といった考えを議論の場に持ち込んで良いのは小学生までだ。トロッコ問題などでも倫理的な議題を無視して「頑張って脱線させる」などとのたまう輩は同士で集まって大喜利でもしていてくれ。

当然、ただ5億年過ごした報酬が100万円では話にならない。そこで記憶の消去が追加されている。確かにボタンを押して100万円を受け取った自分から見れば5億年を経験した自分はすでに忘却の彼方、元々無かった事象と捉えられるだろう… 5億年を過ごし、記憶が消されれば、ね。漫画ではっきりと描写されているようにボタンを押した自分は5億年を過ごす。5億年が経過するまでは「紛れも無い自分自身が」5億年を経験する。「記憶が消えるのだから」と押すことを選んだ者は飛ばされた異空間で必ず後悔するだろう。もしもそこでギブアップができるとしても「この5億年を忘れて何もせずに100万円を手にする別人の自分」に思いを馳せ苦しみに耐え続けるのだろうか。いや、断言する。全員ギブアップだ。

もしも記憶が消えることを理由にそれ以前出来事を無かったもの扱いにできるのなら、今のこの我々の現実世界で怖いものなんてないだろう。死ねば死ぬ前のことは思い出しようがない。死後は無である前提だが、まあ多分そうだろう。

また、記憶が消される前後で別人格とするとしても5億年の苦しみを味わう人物は自分であれ他人であれ確実に存在する。それが自分でないとしても同じ人間である誰かがとてつもない苦痛を受ける。ボタンを押さない理由はそれだけで十分だ。